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2016/09/06 20:54

こんにちは、きじばとや店主イイダです。

夏も終わり、短い浴衣の季節も終わってしまいました。
私がずっとやりたかったことのひとつに、『浴衣を夏着物風に着る』というものがありました。
こういう仕事をしていながら、実は恥ずかしながら、未経験でございました(笑)


その理由は、『なんだかめんどくさい』。(言っちゃった!!)
なぜって、雑誌や着物の本などを見ると、『夏着物風に着るなら衿がないとだめ』『襦袢を着ないとだめ』だめだめづくし、あれもこれも規制が細かい!!
そりゃ、着物風に着るのですから、衿もいるだろうし足袋も履かなきゃだろうし、足元は草履だろうし・・・。
言ってることはわかるのですが、夏の襦袢とか、汗だくになりますよ?1回着たら洗わなきゃいけないレベルに汗かきますよ?
そもそもみなさん、夏の襦袢、持ってます!?持ってない人の方が多いと思うのですが・・・。
襦袢を必須にしたら、大抵の人が脱落しませんか!?
しまいには「これで銀座にお出かけアリ?ナシ?」みたいな設定で、ご意見番さんたちが「アリ」とか「ギリギリナシ」とか「藍地ならアリ」だとか判定まで入る始末。
確かに、迷える人にとっては何かしらの基準があった方がわかりやすいとはいえ、もうこんなに細かくあーだこーだ言われると逆に不安になりませんか?
で、「じゃあもういいよ、普通に浴衣で裸足に下駄で、浴衣として着ればいいんでしょ!あと、浴衣で銀座にはいかないわよ!!」みたいになって、「もうこんなに暑いのに、これ以上あれこれ考えさせないでよ!!」となって、「普通に浴衣でお出かけすればいいんでしょ!それで文句ないんでしょ!!」・・・になってしまうのです。(気が短すぎ!)
スミマセン、私って本当に気が短いのです(笑)

が、今年の夏に、実家の福岡に帰省したときに、目の前がパッとひらけるようなことがあったのです。
ちょっと聞いてくださいよ!!(近所の奥さんみたい)
福岡一の歓楽街である中洲(有名ですね)を歩いたのですが、ちょうどお仕事前のおねえさん方が浴衣を着て歩いてらっしゃったのです。
ものすごく素敵な着姿に、私はふらふらと吸い寄せられ、ストーカーの如くついていき、じっくりと観察しました(笑)
結果、「あれ?襦袢着てない・・・衿もない」 「一人は草履、一人は下駄だ・・・」 「襦袢着てないけど、夏のなごや帯を締めてる!」 と、発見の連続だったのです。
で、中洲でずっとお仕事をされているという方に質問してみると、
「襦袢なんて!暑いじゃない!!みんな下には何も着てないわよ。寒がりの人は、何か着てるかもだけど」
「浴衣の帯?着物の雰囲気と合えば、なごや帯だって締めるわよ。状況によりけりじゃない?」
「草履か下駄か?別に決まりはないでしょ。ただ、中洲という場所柄、下駄がカラコロ鳴るのはあれだからね、だから草履なだけよ、草履を履くから足袋履くだけのこと」

なーーーんだ。あっさり。

結局、着物を『着るもの』として着る人たちの中は、『決まりごと』ではなく、「暑いから」とか、「下駄だとうるさいから」とか、「仕事に行くから名古屋帯」とか「この浴衣をどう着るかによって小物を決める」とか、そんなふうに、とても自然な理由で着こなしているだけ。
『決まりごとありき』ではなく、『どこに、なんのために、どういうふうに着るのか』で、着るものを決める。
なーーーーーーーんだ!!当たり前のことだわ!!
そんな自然なことを、複雑にしてガチガチにしているのは、誰のためなんでしょうね?
少なくとも、消えゆこうとしている着物文化を、がんばって支えようとしている私たちのためではない、と私は思うのです。

なんでもかんでも好きにしていい、というわけではもちろんなく。
でも、着物を着て育ったわけではない私たちは、やはり何らかの基準を必要とはしているわけで。
そんな迷える子羊たちに、「これはダメ」「これはこうしないと」ではなく、枝葉の部分はもっと優しくおおらかに、でも幹となる部分はしっかりと、「こういうふうに考えればいいのよ」と教えてほしいですよね。

そんなこんなでわたくしは、今年の夏ははじめての、『浴衣で夏着物』をやってみました!
藍地の浴衣だったので、衿元に白をもってきたかったので、衿はつけました。(でも襦袢は暑いので、麻の筒袖の『きものスリップ』に、衿だけつけたものです)
そして、腰痛もちの私には下駄は辛いので、草履に足袋を。
総絞りのしっかりした藍地の浴衣でしたので、帯には白い絽の夏帯をやわらかく締めて。
手元は涼しげに、かごバッグで。
そんな感じで、今年の夏の飲み会に参加してみました。

とか言ってますが、実のところ、『浴衣を夏着物』の出発点は、「腰痛が辛くて下駄を履きたくない・・・草履にするには足袋を履かなきゃ。となると、夏着物として着るか・・・」という、まさかの 『足から』の発想でした(笑)
でも、それこそが、『生きた』着物の着方と思いませんか?(自己正当化!!)

本来、着るものって、そういうふうに、『人ありき』だと思うのです。
そんなふうに着るためには結局、場数を踏むしかないんですよね。・・・と痛感した、夏の夜でした。